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過重労働で壊した社員を自己都合退職させる悪徳ブラック企業と闘っています
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東北関東大震災で思い知らされたのが、私の持つ障害年金2級の重さです。
会社での常軌を逸した激務によって、労災で極めて重いうつ病に かかったという事実によって、
私の能力は確実に、危急時に極めて危険なほど低下していました。
私が生きて帰れたのは、奇跡と、周りの人々の助けによるものです。

病院に行った帰りに地震に遭いました。
震度6強、道路が陥没やクラックが出来ていることに一切気を払わず駅まで歩き、
駅舎が崩壊して立ち入り禁止になっていたので途方に暮れてそのまま夜になりました。
JRの人が、「避難所に行って下さい」と繰り返し呼びかけ続けていたことにようやく気づき、
人の波についていって避難所へ。
そこは満杯で、次の避難所、次の避難所、次の避難所と人の波をついて行き、ようやく入れました。
入れたといえ既に限界で、毛布も食料もなく、電気も電話も水道もガスも当然ありません。
しかし、花粉症対策で全身冬装備だったおかげで寒さを凌ぎ、非常用クラッカーを3人で分け合いました。
後から毛布を渡され、1枚を2人で分け合うようになりました。
隣の女子高校生に携帯ワンセグを見せたら、家が津波で流されたと泣いていました。
帰る手段がない人たちで、自然と5人でグループを作って行動するようになりました。
毎日人が減っていき、物資が少しずつ配給されるようになっていきましたが、
私は家族に電話が通じず、ワンセグのニュースでデマばかり流しているのにうんざりしていました。
バッグにサンヨーのバッテリーをいつも入れていたのが役に立ち、停電中でも携帯の充電が出来ました。
女子高校生は結局雪の中家に向かい、帰ってきたときには風邪か肺炎で、病院に送られてしまいました。
彼女が家に向かうとき、何とか止めることが出来ていたら。

みんなは東京や青森の家族と連絡が取れていましたが、家の携帯は圏外、
固定電話も電気が来ないと通じません。ちなみに、現在固定電話の復旧の予定はないそうです。
元気に歩いて情報を集めてくれる彼らと、一応土地勘がある私が情報交換し合いながら、
生命維持のために手段を尽くす。生活物資を買い、いなくなった人の毛布を集め、
新聞やニュースを注意深く見る毎日。
みんなと一緒でなかったら、いなくなった人たちの何割かのように、衰弱死していました。
AEDを使っているところを初めて、3回も見てしまいました。
凍死による心肺停止にAEDは効果が薄かったと思いますが。

電気が通り、給水車が来て、学校のテレビを避難所に持ってきてくれ、防災トイレが立ち、
ボランティアの方々がアルファ米を握ったりして、生活できるようになってきました。

私もアルファ米を握ろうとしましたが、図工室に入って、
自分のめまい、足の震え、複視、視力、手の不器用さなどに初めて気づきました。
ずっと同じ状態だったというのに。
作業をやったら、確実に貴重な食料を無駄にしてしまうとようやく判断でき、作業をやらずに帰りました。

そして一昨日、家族の携帯が奇跡的にアンテナ1本立ち、10秒ほど話せました。
俺の所持品から生活に役立ちそうなものを全部渡して別れを告げ、
前日タンクローリーごと応援に来たタクシーで帰宅しました。

睡眠薬を5種類飲んでも地震以来一睡も出来ていません。
睡眠薬のストックはあと1週間。
現在、JRの開通の見通しは一切ありません。
最低数年はかかると思います。

障害者手帳2級の、危険への対処:Cの意味がようやくわかりました。

いい人達に巡り会えるという運に恵まれなければ、確実に死んでいました。
会社の人たちは、手を叩いてないて喜んでいたことでしょうね。
私が住んでいる宮城が震源地ということだけで、社長らが喜んでいる姿が目に浮かびます。

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